須藤2020年から小学校の授業に「プログラミング」が必修化されます。このことで、具体的な指導要領が組み立てられつつあるのですが、堀田先生はこの「プログラミング」の必修化についてまず必要なことはなんだと思われますか。
堀田すごく具体的なことから言うと、小学校のICT環境の整備ですよね。実際に文科省のガイドラインに「必要な環境を整え」という一文が追加されました。2018年から2022年度の間の5カ年計画で、学習用コンピューターを3クラスに1クラス分常設すること、ICTの支援員を4校に1人置くことなどが義務付けられたのです。本当は1人1台、タブレットでもあれば随分違ってくるのですが。
今は都内の小学校の例をひとつとっても、かなりICT環境に違いがありますからね。
須藤それは早急に整備されることが望ましいですね。そもそもなぜ今「プログラミング」教育を徹底しなくてはならなくなったのか、改めて先生のお考えを教えていただけますか。
堀田厚労省の試算で、2050年に日本の人口は9515万人に減り、高齢化率は39.6%になります。少子高齢化がどんどん進む。ここで起こってくるのが第4次産業革命です。最適なプランニング、モノのサービス化、遠隔制御、マスカスタマゼーション、相互協調による最適化、将来予測、無人化。つまり、IOT 、人工知能、ビックデータ、クラウドの時代になる。コンピューターが人間のするべき仕事をすると言われています。
須藤そこで、人間の仕事がなくなるのではなく、仕事の内容が大きく変化するということですね。
堀田そうです。生きて働く知識、技能を習得すること。未知の状況に対応できる思考力、判断力、表現力等を育成すること。 そして、学びを人生や社会に生かそうとする「人間性」の涵養がポイントになってきます。
わかりやすく言うと、グラフやデータを読み取れる力、モラルをもってその情報を活用できる力、問題発見と解決の基盤となる能力を育てないといけないということなのです。
須藤世の中の「仕事」はさらに激変していくわけですね。
堀田今の小学生たちも、10年もしたら世の中に出ていきます。
その時に終身雇用は、たぶんありません。同じ会社に何年いるか、キャリアアップを自分で決める時代になります。自分の適性と自分のやってみたいことを考え合わせ、自分のキャリアを自分でデザインしてやっていくというような。
そしてそれが「社会に貢献できるか」どうかが働きがいだというようなことを子どもたちにどう伝えるか。その時に、こういうものを面白いと思えるようにしておかないと。仕事のほとんどはテクノロジーを使う仕事になっていきますから、それが嫌いになったら「ああ、もう自分はダメだ」と、将来を狭めてしまうことになってしまいます。
須藤全員がプログラマーになるわけではないけれども、いろんな体験を子どもの頃にしておいて、新しいことにチャレンジすることの楽しさや、わくわく感をもてるようになっておくことは大事ですね。せめて恐怖感をもたせないようにしなくては。
堀田農業だってテクノロジーが不可欠ですからね。ドローンで農薬を散布したり。
今はまだ、一般にはなかなかそこがリンクしていません。農業は農業、ドローンはドローンみたいな。日本は産業によって分化してきたのです。
でもIoTによって第四次産業革命はどんな職業に就いても結局横軸としてITが関わるようになります。水産業でも魚群探知機は使うし、魚の分布と取れ高ログが、毎年の水温などで計算されて、そろそろあのあたりでアジがいっぱい取れる時期だなどと、予測するわけで。
もはやITなしに最適な漁業はできない。労働力にも限界があるなかで、それをどこでどう使うかという意思決定が必要なのです。
つまりいろんな産業にテクノロジーがこう使われているということを教える必要があると、僕は思うのです。
須藤私の息子は今6年生です。先日、彼らが世の中の仕事の種類について調べていて、私の仕事がどんな仕事なのか、インタビューを受けました。
この活動では子どもたちは仕事内容やキャリアに興味関心をもつことがゴールになっていましたが、今後産業とテクノロジーの関係を理解するに至る内容になってくるといいですね。
堀田今の段階では、キャリア教育=どの職業につくために今のうちからどんな努力をすればいいですか、ということですからね。
今の子供たちが就職するころには、たぶん現代にはない新たな職業を創りだしたり、そこに参画したりする、そういう時代になっています。職業を特定してそれに向かって努力するのは分かりやすいけれど、もうそれだけではないでしょう。
だからそこで「自分たちはどんな力を今のうちから身につけておく必要があるんだろうか」というコンピテンシーというかスキルというか、そういうところにもっていくような授業にしておかないと、メタな授業にならないですね。
須藤私も社会人を20何年やっていますが、求められるスキルって日々変わっていくなと感じています。社会が激変しているので。
20年前だと履歴書にブラインドタッチができますとか堂々と書いたんですけど、今、そんなの当たり前すぎて誰も書きませんものね(笑)。
須藤プログラミング教育が小学校から始まって、中学・高校といくわけですけど、その教育の連携はどんなふうになっていくのでしょうか。
堀田ご存知のように、中学校と高校には既にプログラミング教育はカリキュラムに入っています。
小学校にプログラミング教育を入れるにあたって、中央教育審議会は、小中高の流れの組み直しを図りました。
まず小学校では「体験」です。細かい理論はわからなくても、こうしてプログラムが動いてるんだということを実感して、それと同じようなモノが世の中にはいろいろあるのだということを学ぶ。そこまでです。
中学校では技術家庭科の「技術分野」に入っています。技術は産業に繋がっている教科ですから、プログラミングが実際にどのような産業と結びつくかを学びます。内容としては、例えばデジタル作品の制作などを行います。昔は技術と言えば、鉋(かんな)をかけたり、本棚作ったりしましたよね。もちろんそういう体験は大事なのですが、今は本棚はあまり作りません。作っても良いし、何かを栽培もしても良いのですが、むしろ産業としてはプログラムを何らかの形で組んだりすることが、情報産業という大きな産業につながりますね。
ですから、教科の内容的には通信するプログラムを学ぶのが中学校です。あるもので組んで完成ではなく、ここでこう動いたら、向こうでああ動く。こっちからリクエスト出したら、向こうがこう応える。そういったことを教えるのが中学校で、それが2021年から始まります。
須藤双方向性のあるコンテンツのプログラミングですね。
堀田そうです。そのためには単体で動く、きちんと制御する、それが世の中の産業を支えているということをもう少し学問的に教えます。
小学生は想いを馳せて、もっと調べてみたい気にさせる。あとは各自の興味に委ねます。中学校ではそこをきちんと教えます。
須藤高校ではいかがですか。
堀田高校は情報です。情報の授業実数は3年間で2時間×35週の70時間やればよいことになっているので、高校一年生で2コマあったらそれで終わりなんですよ。また、例えば8クラスや10クラスある大きい高校だったら教える授業時間数も多いのでちゃんと常勤の先生を置けますが、5クラスの学校などは授業時間数が少なすぎるので、結局非常勤を雇うことになります。実際、今高等学校の情報の授業をしている先生の3割は他教科との兼任など、情報の免許をお持ちでない方々です。
それで、今度はこれを再編して、情報1と情報2っていう、縦に積み上げるようにして、2は選択だけど1は必修にした。好きとか嫌いじゃなくて全員受けなくちゃいけないようにしたんですね。そうするとその中にプログラミング、シミュレーションがガツッと3分の1ぐらい入ることになります。
今の先生たちから見るとかなりハードルが高いことが2022年から始まるのです。そしてその2022年の高校生の2024年の大学入試で、「情報」が受験科目に入れようとしています。
須藤ニュースになっていましたね。確かにこれは激変です。
須藤堀田先生から見て、プログラミングによる学びの最大の産物は、どのようなところにあるとお考えですか。
堀田80年代、僕が学生の頃、プログラマーをしていたことがあります。あるバイトで、教育ソフトをいろいろと開発していました。
あの頃はプログラミングができない人は、コンピューターを使えなかった。で、逆に言うと、コンピューターを使う人はプログラムを組んで何かをする人でした。
その後、ワープロやソフトがいろいろ出てきて、プログラムを組まなくても便利に使えるようになっていきました。
今でいうリテラシーというか、コンピューターの基本的な操作ができて初めて仕事ができるという状況にだんだんとなっていった。
80年代中盤には、そのソフトのユーザーであれば、プログラミングしなくても操作ができるようになりました。
そしてみんなプログラミングを忘れていって、プログラマーという職業が、たとえばとび職と同じように、資格は必要ないけれど特別な職業になりました。高いところに登るのって大変だよね、みたいな。プログラマーという職業もなんとなくわかるけど、それは自分の仕事ではないという感じです。
須藤そこからまた再注目されてきたわけですね。
堀田はい。今、STEM教育が騒がれたり、科学技術に高度に支援された世の中になってきた段階で、それを背景に、またプログラミング教育に注目が集まっています。
これは一種の危機感から始まっているのではないか、と思うのです。
須藤それはどんな危機感なのでしょう。
堀田たとえば、今この部屋はすごく絶妙な感じでエアコンが効いているじゃないですか。どこでどうなっているのかわからないけど、空調のプログラムがすごく上手にできていて、ユーザーの僕らから見ると無自覚に心地よいだけです。
誰がこれをしてくれたのだろうと考えなくても済んでしまいます。そうして、だんだん世の中にブラックボックスが増えて、自分はその中で平和に幸せに暮らしている。廻りの人の配慮なのか、苦労なのか、努力なのか、そういうことに気づかない社会にどんどんなっていっているのではないかと思うのですよ。
そういうことに対する危機感です。
気付かないということは、自分がそういうことをやってみようという発想にならない訳です。
須藤快適ゆえに忘れ去られるブラックボックスの存在。その仕組みの一部にプログラミングがあるのですね。
堀田今、僕が教えている大学生たちにプログラミングの話をすると、学力の高い学生でも、プログラミングを学校で習ったこともないし「そもそもどこで使われているんですか」って、スマホでレポートを書いてきます。だからスマホ自体がプログラミングされているんだぞ、と(笑)。
スマホで書いてきて、提出は大学の掲示版システムで出してきます。全部プログラムで動いているのにピンとこない。彼らからすれば、生活の中に埋め込まれてしまっているのです。
須藤プログラミングされたものが生活に埋もれてしまっている。それを掘り起こして目の前に見せてみるというのが、小学校のプログラミング教育の最初にあるべきなのかもしれませんね。
堀田そう。そこで、レゴですよ。自分が創ったものが動くという体験こそ必要ですよね。今までゲームで創られた世界で遊んでいるということから考えれば、創る側に立ってみて、技術によって、世の中を支える側に立ってみるという最初の体験ができる。それこそがプログラミングだと私は思います。
みんなプログラマーが足りないからとかいうけれど、小学校で2-3時間やったって、プログラマーになれる訳ではないし、経済発展にすぐ役立つものではありません。僕は埋め込まれたものを知るための経験でよいのだと思いますね。
須藤プログラミングするということを身をもって体験することが、まずはブラックボックスを開けることになるのですね。
堀田僕は以前メディアとの付き合い方に関する本を出しました。 ちょうど情報モラルが話題になり始めた頃だったので、メディアの仕組みではなく、どう付き合うかを教えていった方が良いのではないかと思ったのです。
携帯電話を持たせないのではなくて、上手に使う術を教えていこうと。
どうやったら悪用になるのか、どうやったら被害が出るのかという知識も含めて、ちゃんと教えていきましょうと。メディアは移り変わるので、体験的にやっていきながら身につけていくしかありませんよ、と。
須藤前例のないものだから、先生も生徒も体験しながら学んでいくということですね。
堀田体験と試行錯誤ですね。
こんな議論があります。学校の先生たちが、マッチを擦れる、マッチで火がつけられるのは子どもたちに必要な能力かと。
それはできた方が良いというが、では「いつマッチ擦りましたか」と聞くと、「3年前かな」と(笑)。そういう議論を面白おかしくやっていくと、必要な能力かもしれないけど使うのか?使わないのにどうして必要と思うのかという論点になる。要するに「火、ってもともと、こうやって着けていたんだ」という体験も、必要だということなのです。それを進化させたのが着火ライターだとかね(笑)。
原体験にもどって何かをやる。− それこそ、小学校のプログラミングだと思う。動かしてみて、うまくいかない経験に意味があって、思ったように動かなくて、あれ?どうしてだろうって考えて、試行錯誤して、さっきよりうまくいくようになって、友達のすごいアイデアを見て「あいつ、すごいな」って思ったり、教わったりして。自分の思ったことが最初は夢のようなことでもだんだん現実的になってきて、それで何とか、僕はこうやって思った通りに動かすことができたという原体験ができるわけです。
須藤その小学校でのプログラミングの原体験をどう次の思考につなげていけば良いのでしょうか。
堀田原体験だけで終わっては意味がないですよね。
プログラミング教育は、それが世の中のさっきのエアコンの話とか、信号機とか、社会を支えていて僕らがそのおかげで便利に暮らしているということとつなげてあげることが大切だと思います。
そこは子どもの想像力だけではたぶん無理で、学校の先生の仕事です。
プログラミングの体験を同じようなプログラムで動いているモノが世の中にいくつもあるよっていうことにつないであげること。どうして同じかを例を交えながら理解させてあげるんです。抽象化すると、世の中にあるプログラムも結局は同じ原理で、みんな順番に処理しつつ、条件によって変化させたり繰り返したりということをしているんです。です。シチュエーションやニーズに合わせてね。その体験とそこから得た知識がプログラミング的思考です。
そういう風に論理レベルでいろんなものが見れるようになって欲しいわけです。
須藤小学生だからこそ、その体験はすごく大事だと私も感じています。
小学校のある理科の授業を見に行ったことがありまして。電気を効率的に使おうという授業で、レゴ「WeDo2.0」を使って扇風機を作らせていたのですね。
最初は普通の扇風機が回っているのですが「このまま回り続けていたら電気をどんどん使ってしまう。効率的に、電気を大切にするにはどうしたらいいか」と考えさせて、そこでセンサーを使ってみて、人が来たら動いて、人が去ったら止まるとか、そういった工夫を考えさせるのですね。
見立ての扇風機をレゴで作るのですが、見立てがあるだけで子どもたちはイメージがすごく湧きやすくて、手がどんどん動いて行く。で、先生がおっしゃったようにはうまくいかないですよね。「あれ?ここで止まるはずなのに!」と。
そこで試行錯誤して友達と協力してやっていく。そのプロセスが非常に時間がかかるようで、実は効果的、効率的だなと感じましたね。
堀田その省エネ扇風機は扇風機ではあまり実用化されていないかもしれないけど、学校のトイレは、人が入ると電気が点いたりするわけで「あれも同じような仕組みなのですよ」と、先生には授業の最後につなげてほしいのです。
須藤そうですね。なるほど。
堀田理科というカリキュラムから行くと、最初は風というエネルギーで動くとか、ゴムで走る車とかを1~2年生でやるわけですよ。それを次に電池で動かす。3〜4年生で回路を習うので電池で動かして、5~6年生では電磁力で動かす。それは広くみれば、エネルギー教育につながる動力の原体験、風とか、ゴムとかいう原体験からずーっとつながっています。子どもたちには、その繋がりも教えてあげるべきなのですよ。
須藤学びを現実の社会の仕組みとリンクさせるためにも、繋がりを教えてあげるのは大切ですね。
堀田プログラミングも電気の時だけ急に話をしても、子どもはピンとこないのではないかと思います。
それは、初めてビデオカメラを手にした人に良い映画を撮れと言っているようなものだから。無理ですよ。いろいろ撮ってみたり、失敗したり、そういうのを経て、だんだんツールになっていって、ここで使ったらうまくいくんじゃないという発想になるわけですよね。
だからプログラミングの体験も理科の電気が本丸だとしても、そのとき初めてやりましたでは、ダメだと思う。ちょこちょこと、休み時間などに教室にレゴみたいなものが置いてあって、興味をもつ子からだんだんスタートして、少しずつ流行っていって。すごく知ってる子と見てるだけの子がいても良いから、そうやって生活の中の景色としてあって、そこからだんだんだんだん本丸に近づいていかなきゃいけないと思います。
日頃から、学習のいろんな場面の中にそーっと埋め込んでおくことが大事ですね。
須藤堀田先生のお話を伺っていると、本当に私たちはひとつの事象やコンテンツにとらわれがちだなというのを痛感します。
堀田私は文科省の仕事をしていますが、学習指導要領の中身は実によくできていますよ。
例えば小学校5年生の社会科で農業を習います。すると決まって次に水産業を習う。どの教科書にも農業があったら次は水産業。でも学校の指導要領には農業をやってから水産業をやれとは書いていません。それは食糧生産という産業の学習となっています。
ではなぜ農業が先なのか。それは農業がまだ子どもから見れば身近で、食べているものにつながりやすいからです。お米だから。そこで、機械化のこととか、労働人口が減っていることとか、土地の有効利用のために工夫をしているという話をやって、その考え方を身につけてから、では水産業はどうだろうかと考える。
すると、子どもたちは「漁師も減ってるんじゃないか」とか、農薬と同じような被害があるのではないかとか、機械化で効率良い漁業みたいなことができるのかという話に繋げられる。
これは結局、農業と水産業というコンテンツによって、食糧生産を支える人々の工夫や課題を教えているのです。
社会科というのは社会を教えるから。でも僕らはつい、農業を学ぶ、水産業を学ぶと考えてしまうから、農家になるわけじゃないのに農業を学んでどんな意味があるのかみたいなことを言ってしまう。本当は教えなきゃいけないことは、もうちょっとメタなところにあるのです。
須藤習う子どもたちのほうが、自然とそれを繋げて考えられるのかもしれませんね。これは社会科のお話ですが、他の科目もそうですか。
堀田そうですね。小学校4年生の国語の教科書には「ごんぎつね」があるんですが「ごんぎつね」を教えなさいとは学習指導要領には書いていないのです。
たまたま題材として「ごんぎつね」なのです。でもどの教科書にも載っている。なぜかというと4年生の読解力として「情景を読み取る」というのが必要だからです。赤いカンナの花が出てきて、白装束が出てきて、黒い影が出てきて、色の描写がその雰囲気を表しているということを読み取れるようになるのが4年生くらいなのです。そのことをちゃんと教えるための好例としてずっと使われ続けているんですよ。
だけど子どもたちも表向きは「ごんぎつね」を習ったと思うし、先生も「ごんぎつね」を教えなきゃって思ってしまう。コンテンツに目が奪われているんです。
須藤なるほど。たとえばレゴブロックを使った授業をやる。レゴブロックで何を作らせるかと。そこで終わってはいけないということですね。
堀田レゴで何かを創ることを通して教えたいこと、伝えたいことは何なのという秘められたメッセージが必要だと思います。
そこをもっと僕らは大事にしなきゃいけないと思うのです。
須藤おっしゃる通りですね。
堀田それともう一つ。僕が講演でするたとえ話がありまして。
小学校でリコーダーとか、鍵盤ハーモニカをやって、上手にできる人、できない人がいますよね。はいもう一回とか言って、何回も何回も練習しますが、大人になってやりませんよね。でも大人になってオーケストラとか見に行くとすごいなーとか、ピアニストすごいなーとか、テレビで見ても歌がうまい人はすごいなーとか思うでしょう。
そう思えるのは自分がやったことがあるからなんですよ。それが物差しになっているのです。こんなにできるんだと。ちょっとした実体験が直接は同じことをやるわけではないけど、そのプロフェッショナルの人たちのすごさを実感し、社会を支えるそういう人たちの努力に思いを馳せるのは、自分のちょっとした実体験なのです。
小学校教育とはそういう仕組みで作られていると思うのです。だからそういうところにプログラミングを入れる意味は、情報社会を支えてくれている人たちがいて、その人たちが苦労して作ってくれた技術で、僕らは幸せに暮らしてられるんだというところまで、ちゃんと先生がストーリーづけるべきだと思います。
須藤確かに教科の中にいかに導入すべきかが先行し、その背景やストーリー、教育効果について考えることを後回しにせざるを得ないことにお困りの教育関係者は多いかもしれません。私たち企業やメーカーもそういったお話ができる準備がなかったので、双方向的に背景は何なのか、狙いは何なのかという理解を深めなくてはいけないと思います。
堀田レゴに限らず、いろんなプログラミング教材を作っている方々とできるだけお話しするようにしているが、僕は、いろいろあればいいと思うんです。レゴが好きな人もいれば、他の教材みたいな、むき出しが好きな人もいていい。
いろんな先生がいるし、いろんな学校があるんだから、いろんなものがあればいいと思うんですよ。子どもたちも一つのプログラミングツールで体験するのではなくて、いろんなツールを体験してこそ、同じ考え方がすべてにあることに気づくのです。
農業の時と同じような見方で水産業も考えられるのだということを知っていくわけで、それによって少しメタなところに思考がゆき、メッセージに気づきやすくなるのだと思うのです。
今はとにかく理科の電気のところで、どうやってプログラミングを入れるんだってことばっかりになってて。でも理科に入れないでどこに入れるんでしょう。電気のところにプログラミングを入れるのは、省エネとの関係や原発の問題もある社会の中では、一番座りが良いと思います。
今、理科×レゴは追い風だと思いますよ。
須藤堀田先生は海外視察もたくさんなさっていますね。
堀田はい。例えばシアトルの学校とかに行くと、レゴルームがあります。
1時間レゴの時間をやっていたり、レゴ好きの先生がいて、4年生ぐらいとかで、年中レゴをやっている。教員研修もその部屋でやっていたりします。
自分たちで組み立てたモノを、自分たちで動かす。プログラミングの時も、簡単な前進したり止めたり曲がったりするぐらいのものも、アヒルって言ったらアヒルの動きをしたい訳で、作ったものが犬だったら犬の動きをしたい訳で、そうするとプログラミングも変わってくる。なるほどな、と思いますよね。
須藤ヨーロッパでも、教育の場でレゴが日常的にありまして、理科室、レゴ室みたいな感じであるんですよ。
堀田北欧の方が多いですか?
須藤北欧も多いですね。
堀田今、一番レゴ教育が盛んな国ってどこですか?
須藤アメリカが多くて、カリキュラムも比較的自由なので、多くの教育機関に入っていますね。
最近だと中国での導入がすごく進んでいます。文科省とタイアップして、それこそ先生向けのトレーニングをレゴ教材を使ってやっていただいたりとか、eラーニングのコンテンツを中国のレゴ エデュケーションで作ったりとか、中国は活発ですね。あとは習い事の視点で行くと、日本と韓国。「マインドストーム」を使った習い事がすごく活発になってきています。
堀田アナログなブロックを自分でストーリーを創りながら組み立てていくという行為と、プログラムを作ってコンピューターで動かすということをくっつけよう思った人はすごいですね。
須藤レゴ社のオーナーであるキヤク・クリスチャンセンがそれをくっつけようと思ったんですね。彼が家でテレビを見てた時にMIT(マサチューセッツ工科大学)の特集をやっていて、そこでMITのシーモア・パパート先生が、当時ロボット的なモノを試作で取り組まれていたのが映ったらしいのです。
ハッと閃いて、自分の創ったものが動いたら、これ以上に子どもがわくわくすることないだろう、しかも自分で制御したら面白いに違いない!ということで、すぐMITに行って話をして、このブロックを動かしたいんだけど、どうにか融合できないかと。そこから製品の発売まで数年かけて一緒に開発して初代の「マインドストーム」ができたんですね。
日本の学習指導要領に合った形でのコンテンツの開発もいろいろ進めています。レゴのセットは色々なクリエイティビティを育むツールであり、例えば理科の教科の一部分だけで使うものではないので、コンテンツももう少し幅広く、なおかつ、そこで使いたい先生には使いやすいように、いろんな先生に使って頂けるようにと思っています。
堀田今学校の先生方は非常に多忙です。先生の人数そのものが足りていない学校もあります。
ただそういった状況の中でも、こういうものを楽しく、もう少しメタなところまでできるように、教材や研修をどうするか、そういったところのリーダーシップが取れる教師を育てていく必要があります。
少し中期的な視点で取り組む必要があるのかなと思います。
だから良きツールとしてのレゴには期待していますよ。