対談コラムプログラミング教育に関するお悩みや、今取り組むべきことなどをご紹介。

プログラミング教育最前線

PROGRAMMING EDUCATION

始まっている日本の『プログラミング教育』の今

第1回始まっている日本の『プログラミング教育』の今
〜 筑波大学附属小学校 鷲見辰美先生に聴く

前編「プログラミングがこれまでの教育のあり方を変える!?」

筑波大学附属小学校。初等教育の最前線で、すでに2013年から「プログラミング」という授業を始めている鷲見辰美先生(54歳)は、こう語る。

「いよいよ2020年から、日本の小学校でプログラミングが必修化になります。ところが、どこも『やらなきゃね』という気持ちが先走っているのが現状。ただ1年前よりは関心は高まってきていて、勉強会などは増えています」

なぜ「プログラミング」について、教師側が消極的なのか。そこには二つの理由があると鷲見先生は言う。

「まずひとつには、教師たちがプログラミング教育を『体験したことがない』ということなのです。そしてふたつめに『プログラミングの言語に関して恐れがある』ということです。教師たちはそもそも、何かを教えるときに、完璧に自分のものになったところで自信をもって教えることができる。だから、たとえば、教育の過程でパソコンに出てくるアイコンの種類をすべて覚えてから教えようとするわけです。でもそういうことは、プログラミングという授業においては、子どもたちと一緒に覚えていけばいいのです」

実際、幼少期からタブレットの扱いに慣れた子どもたちは、大人よりも早く課題を解決していくという。教師の側もパソコンやスマホを自分のものにしていったように、便利な思考法のひとつとして自分のものにしてゆく必要がありそうだ。
そこにある「言語への恐れ」も、あまり難しく考える必要はなく、必要に迫られたときに自然に覚えていけば良いという。

「単に考え方の手順を教えるということ。それを忘れないことですね。見えない世界に入ったとたんに、みんな嫌いになるけど(笑)。そこをつないであげる教材は重要ですね」

鷲見先生が「プログラミング」を授業に取り入れを行ってきた5年の間で、教材はかなり充実してきた。

「今、よく使われているのは『Scratch(スクラッチ)』と呼ばれるソフトで、ゲームを作ってみるようなものですが、レゴ エデュケーションのように最終的に作ったものが動く、創意工夫する要素があって、自由に何かを作ることができるものが重要視されていくでしょうね」

実際にレゴ エデュケーションを使ったプログラミングの授業は大人気なのだとか。

「たとえばレゴ エデュケーションの教材を使って、自動ドアのような仕組みを作るとしますね。どのブロックをどう使って、ドアはどうやって動かして、どこで入ってくるものを感知させるか。そういうことをみんなで考えていくわけです。その過程で『わからない』『動かない』といった問題を解決していく。3〜4回やってみて反応がないと、大人でも嫌になりますよ(笑)。でもそのエラーこそが学びのきっかけになるのです。そして最終的に自動ドアが開いたときの喜びと言ったら!そのときの子どもたちは本当にいい顔をしますよ」

思考を自由に積み上げ、最終的にある独自のシステムを作り上げるということ。
それは、何か決まったことしかできないロボットを与えられ、マニュアルを覚えて操作するのとは正反対のアプローチと言える。

つまり、プログラミングを自分のものにできた人は、これからのAIの時代での立ち位置が明確になるのだ。AIにふりまわされるのではなく、それらを作り、活用していく立場を得るということである。

鷲見辰美先生

「プログラミング」という授業において、「トライ&エラー」つまり「やってみてダメだったら別の方法を考える」ということが絶対的に大事なのだと鷲見先生は言う。

「トライ&エラー」こそが「論理的思考」回路をつくるのだと。

それは確かに、今までの日本の教育には圧倒的に足りなかった学習であることがわかる。
それは先生を含め子どもたちにも「トライ&エラー」はなかなか許されなかったからだ。

教科書に書いてある、誰かが確証をとった(はずの)事象を暗記する。すでに仮定と結論のあることを証明する。誰かが定めた正解に向かって、文章を読み解く。ある一定の「褒められるポイント」に向かって文章を書く。

そういった、今までの教育のあり方自体に「プログラミング」という授業は一石を投じることになるのかもしれない。
鷲見先生はこう語る。

「今までの日本の教育は、教師をこんな気持ちにさせていました。与えられたカリキュラムをすべてこなすのは時間がない。時間がないから失敗しないようにしなくてはならない。その結果、何が起こるかというと、子どもたちは算数で答えが合うという結果を得ても、成し得たという実感をもてないのです。でも、プログラミングはその結果について、教師と子ども、あるいは子どもたちどうしが顔を付き合わせてまた相談する。解決に導く過程のなかで『先生、わかりません』と手を挙げた子どもに『あ、そこは僕、わかるよ』と、別の子どもが教えたりする光景もあります。つまり、対話です。対話によって、子どもたちは深い学びを得ることができるのです」

プログラミング教育に消極的だったり懐疑的だったりする教師たちのなかには、そこにある言語に無機質な印象をもって、実はこの正反対のことを想像している人もいるのかもしれない。
2020年、日本に取り入れられる「プログラミング教育」とは、実は教師と子ども、また子どもたちどうしの血の通った対話を生む、新たなチャンスなのである。